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激マニアック物件「Maruhachi」がほぼ満室に!

 福岡ボートレース場の入り口脇にある元質屋&角打ち物件という、パンチが効きすぎな物件「Maruhachi」がこの度、ほぼ満室になりました。"ほぼ満室"というのが、企画当初から予定していた募集区画は埋まり、1階のスタジオはレンタルスペースとして時間貸ししつつ、一応賃貸募集もしている、といった状況のためです。 思えば、オーナーであるリーシングサポート五島さんから昨年この物件の活用についてご相談頂いた時、あまりにもエリア的なロールモデルとか前例がなさすぎて、なかなかこれだ!という企画が正直思いつきませんでした。そのうち「スモールオフィスで進めていきたいと考えている」というお話になった時に、うわ〜できるかな〜と不安だったものの、R不動産在籍時にスモールオフィスのリーシングはいくつかやらせて頂いたり、コンバージョン案件みたいのも多少関わってノウハウはある程度蓄積できていたので、そういうのを活かせればなと思い、参画させて頂いたのです。 とは言え、前を通る人は100%競艇客だし、なんだか都会でも田舎でもない特殊立地で、こりゃ新しい人の流れ作るの大変だなと思い、「これ、オフィス以外でよっぽど何かしらの特徴作らないと人来ないですよ」と話しました。そして、思いついたのがレンタルスペース。これは中央区港の造船所近くというこれまた特殊立地で前々から企画・管理・募集等で携わらせて頂いてる90㎡のシェアスタジオ「スタジオポルト」の事例を合体させるというものでした。 また面白いことに天神エリアでのレンタルスペース23箇所を調査したところ、なんと全て空中階で1階は皆無!そりゃそうですよね。店舗で貸したほうが安定しますから。でもここはこんな立地だから普通の商売は難しく、逆に時間貸しにした方が良いわけです。1階ですと、イベントやポップアップショップなどに活用できたり、撮影でも機材の出し入れが容易ですし。 ということで1階の43㎡ほどのスペースをレンタルスペース、上は、スタートアップ・フリーランス熱が加熱している割にはまだまだ福岡で不足していると思われる、3〜4坪程度のスモールオフィスで組み合わせることに。また改装予算も抑えるために、敢えて未完成・ざっくりな内装にして、DIY型賃貸にしましょう、そして多くの人にとって頭の痛い原状回復義務をなくしちゃいましょうという提案も。これは樋井川吉浦ビルの吉浦さんからの学びです。

「楽しい」もしくは、「ヤバい」が大事?

 少し抽象的なテーマになりますが「努力」の定義について考えてみました。 「努力」を辞書で調べるとこうです。[目標の実現のため、心身を労してつとめること。ほねをおること。] 努力は過程であり、それによって得られたものが成果である。これが一般的な認識ですよね。 しかし、色々考えていくと努力とはある意味、「結果」ではないかと思うようになりました。 僕は、成功者の自伝を読んだり身近な人の成功体験を聞いたりするのが割りと好きで、それに至る過程というのは、大きく下記の2パターンに分けられます。①好きで楽しくて仕方ないので夢中にやっていたら成功していた→夢中パターン②自分がやらなきゃヤバい状況になったので、必死にそれを解決しようと動いてたら成功していた→必死パターン 夢中パターンだと例えばオタク系。宮崎駿やイチローなどそれが好きすぎて寝食惜しんでまで没頭するタイプの人が該当します。幼い頃からPCオタクだった人が巨大IT企業を築いたりとかもそう。必死パターンで言えば、スタートの段階で詐欺にあってしまったり、USENの宇野社長のように、莫大な借金を抱えた会社を父親から引き継ぎ、必死に返済していくうちに勢い有り余って会社も大きく成長したりなど、マイナスからのスタートで成功したという、火事場の馬鹿力的に成り上がった経営者も多いですね。 何も成功とはこれらのような大きなものに限らず、日常の小さな成功体験でも当てはまります。例えば普段のダイエットが続かなくても、「結婚式のドレス着る為に痩せる!」と決意すると殆どの人が成功しますけど、これは必死パターン。売上成績が優秀な営業マンには「これが駄目だったらこう試してみよう、あれで成功したから次もやってみよう」のように、営業自体をゲーム感覚で楽しんでいる人が多く、これは夢中パターン。  「いやいや、楽しくもなくヤバイ状況でもないけど、純粋に目標に向けて苦しいことを毎日耐えてる人も沢山いる!」という思う方もいるでしょう。しかしそういう状況でも、「自分はその目標に到達しないとヤバイ!」とある種、強迫観念的に自分を追い込んでいる必死パターンであると言えます。 夢中と必死のパターンがミックスすることも多いです。僭越ながら、僕の例で言えば、とても小さな成功体験ではありますが、マラソンのタイムが上がった時。普段ラン仲間と走ったり大会に出場することはとても楽しい。では、なぜ普段一人でも走るのか?それは、体力が落ちたり体重が増えたらヤバい、次の大会でタイム更新ができないと自分的にヤバいから、という両方のモチベーションで動いた結果であるとも言えます。 つまり、人というのは、「楽しい」か「ヤバい」状態にならないと頑張らないんですよね。その後成功を収めた時、「あっ、自分が今までしていたことって努力だったのかも?」と気付くのです。ですので、努力とは後から定義されるもの。ある意味、結果でもあるというわけです。しかし一般的には努力=苦行というイメージがあるために、「努力しよう」と決意して実行しても殆ど続かずに終わります。 ということで、もし「社員や部下が全然主体的に働いてくれない」という悩みをたまに聞きますが、「楽しい」もしくは「ヤバい」状況を作れていないことに問題があるのかも知れません。今の正社員という雇用体系でヤバイ状況を作るのはなかなか難しいとは思いますが・・。 ただ、自分自身が必死になる状態は割と簡単に作れます。自分の目標を声に出したりSNS等で発信するという、よく聞くワザです。「絶対にKOで倒す」と試合前にボクシングの選手などがよく使う手で、言った手前やらないとヤバイ状況に持っていって自分を追い詰めるというものです。しかし、本当にそうなりたいと思っていないと、ただ目標を言っただけで終わってしまうので注意が必要です。 目標がなかったり楽しいと思えることがない人は、自分の欲求に敏感になってとにかく色々試してみるしか無いのではないでしょうか。そこで飽きたりしたら向いていないということでまた次の興味を探せば良いだけです。 余談ですが、僕は20代の頃、ランニングを日課にしようと挑戦しても1ヶ月も続かないという失敗が4,5回ありました。しかし今はもう3年以上続いています。これは、31歳の時に初めて大会に参加して本当の楽しさを知ってしまったからです。ですので、「自分も毎日走って身体を鍛えたいんだよね」という人には一様に「じゃあまずはマラソン大会にエントリーしちゃいないよ」と薦めてるのですが「そんなの無理無理!」となかなか実行に移してくれる人はいません(笑)

期待しないということ。人事を尽くして天命を待つ。

 「期待しない」という言葉を聞くと、なんとなく非情なイメージを持ってしまいます。上司や指導者などから「お前には期待していない」と言われたらショックですよね。しかし、期待しないということは、本当にいけないこと・ネガティブなことなのだろうか?ということを最近考えました。 「期待」という言葉を辞書で調べるとこうなります。[ある人がそれをするのを(他の人が)あてにし、心待ちに待つこと。将来それが実現するように待ち構えること。] 「あてにする」という言葉が示すように、期待するということは、見方によっては自己中心的・他力本願的な考えとも言えます。期待通りの結果を得られた場合は良いでしょうが、そうでなかった場合待ち受けるのは落胆です。また期待を受ける側にとっては、努力する原動力になることもありますが、反面、苦痛・プレッシャーにもなります。期待に応えられなかった場合、やはり受けた側も落胆するのです。 つまり期待は無駄な心の痛みを生む可能性があるということ。そのダメージを考えたらあまり避けた方が良いという結論に自分は至りました。  これを不動産業に置き換えてみます。例えばこの仕事は、どうしても申込・契約キャンセルというものがたまに発生してしまいます。始めた当初は、やはり落胆していました。何故なら、勝手に期待してしまっていたから。なぜ期待していたのか?恐らく、自分の数字など自己都合的なことと、これが決まればオーナーなどの利害関係者が喜んでくれるだろうという希望的観測があったからだと思います。 しかし、今はそういったことが発生しても殆ど落胆しなくなりました。何故なら期待をしなくなったからです。しかし、期待をしないだけであとは何もしないというわけではありません。お客さんの為に、できることは必死に精一杯する。時に過剰にまで動いて、結果的に喜んで頂ける結末になるよう確率を高めることに集中する。やりきったら結果を待つのみ。駄目だったら原因を探って次に繋げる。 このことは仕事だけでなく、子育ても同様です。子供に将来こうなってほしいという期待は、やはり本人にとっては重荷になります。ですので我が子には、最低限のことさえ身に着けていれば、どんな生き方をしても構わないと思っています。最低限のこととは、礼儀や思いやりの気持ちを持つということです。これも期待はせずにしっかりと教えられることを教えていくのみです。 きっとこれが「人事を尽くして天命を待つ」ということなのでしょう。これは高校時代の野球部の監督がよく口に出していた言葉で、当時からなんとなく意味はわかっていたつもりですが、「期待しないこと」とリンクするんだなと最近気づきました。 冒頭でも述べたように、場合によっては、受ける側が努力するときの原動力にもなるので、期待が絶対悪だとは言いません。ただ、「期待しない」だけで、世の人々もかなりストレスから開放されるのではないでしょうか。「なぜ言ったことができないんだ」「あの店はサービスが悪い」・・クレーム・文句・叱責は大方「こうしてくれるだろう」「こうあるべきだろう」のような過度な期待が原因です。10代の自殺も、親からのそれで子が逃げ場を失った結果・・というケースが多いはず。 このようなことは「嫌われる勇気」で有名となったアドラー心理学でも語られています。 「他者は、あなたの期待を満たすために生きているのではない」 つまり、想定外の結果にならないための努力、想定外の結果になった時の次への対策。結局これが重要なのだと思います。

賃貸か?購入か?

最近Spotifyという音楽ストリーミングを利用し始めました。好きな音楽を登録して、ストリーミングして聴けるのが特徴。とにかく対応しているアーティストの数が多く、自分の好きなものも殆ど見つかりました。そして一部利用制限はあるものの、無料で聴けるというのも凄い。ということでiPhoneのiTunesに入れている殆どの曲を消去し、15GBぐらいの容量を空けることができ、これだけでかなり身軽な気分になったわけです。そこで改めて実感したのは、いよいよモノを所有する時代では段々無くなってきているということです。音楽もそうですし、カーシェアリングも一般化し最近は服を毎月定額でレンタルできるサービス等も出てきています。数年前に断捨離という言葉が生まれたように、所有を減らすことで、身も心も軽くするという考えが徐々に浸透してきています。そして、それで余ったお金を"コト消費"、旅行やイベントや"インスタ映え"する食事などに使う、これが現代の志向と言えます。では、家はどうなんでしょうか?周りを見ると「いずれは買いたい」という方がまだまだ多いようです。僕もいつかは持ってみたいとは思います。実際にお客さんに「賃貸と売買どちらが良いと思いますか?」と聞かれることがありますが、「すみません。わかりません!」と答えます。何故なら正解がないからです。「保険に入る入らないに正解・不正解は無いですよね?未来のことなんて誰にも分からないですからね。それと一緒です」と付け加えます。最終的には個人の価値観次第、ということなのでしょうが。但し、判断する上で、認識しておかなければいけないことはあります。それは、3つ。①徐々に所有の時代ではなくなってきている。②人口が減り、空き家が急激に増える。③購入したその家は、自分たちが住まなくなっても収益を生むのか?①については前述した通り。30年ほど前、私たちの親の世代は「家は買うもの」という考えが大多数でした。その考えの元で育った自分たちが大人になると、その考えを踏襲した人たちと、特に所有に拘らない人たちに分かれてきています。では、その自分たちの世代が生んだ子どもたちが大人になったらどうか?割合が逆転し「所有しない」という選択をする人の方が大多数になっている可能性もあります。②については現在16%程度の空き家率が、2035年には30%になると言われています。更に先日、日本国内で所有者不明の土地を合わせると九州ほどの面積になるという驚きの報道もあり、実際に家も土地も余っているわけです。「どうせ誰も住まないんだから、あげる」という人や、もしかしたら「お金払うから、住んでくれ!」という人もまだごく少数ですが存在しているようで、そういう人が増加していく可能性も高いです。とは言え、「家賃を払わなくていい」など、購入するメリットも沢山あり、購入派を否定するわけではありません。そこで、購入派の方は③を十分に吟味したほうが良さそうです。30年前と異なり、終身雇用の概念も無くなっていますし、その他予測のできない事情でそこに住むことができなくなった場合、ローンを組んでいる方なら特に、この家は賃貸としての価値もあるのか?を指標とした方が良いですね。ちなみに、家を購入する際、どうしても想定される家族の最大人数を元に間取りや広さを決めたりすると思いますが、ではその最大人数で暮らす期間が何年間なのか?というのも加味した方が良さそうです。例えば夫婦2人に子供が12,9,5歳の3人としましょう。とするとその家に5人マックスで暮らす期間は6年間、更に13年後には夫婦2人のみとなる可能性があります。その6年の為に5人用の大きな家をわざわざ35年ローン組んで購入するとしたら、それは個人的な感覚からするとちょっと勿体無いなぁという気もします。つまり、買う借りるは正解がなく個人の価値観に依るところですが、目の前の欲に流されずに、考えうるリスクを最大限想定して判断することが大事なのではないでしょうか。それにしても、「住まなくなった家があるから貰ってくれ」のような投稿がジモティあたりに出てきたら、それはそれで面白そうですね。(オオサキ)

西野JAPANの“パス回しの是非”を議論する前に、忘れてはならない3つのこと。

サッカーのロシアW杯でのGL最終戦の戦い方について、国内外から論争が巻き起こっています。これらの是非については、各々の価値観や利害に依るべきところなので、色んな意見が出て当然で正解・正論はありません。しかしその前に認識しておくべきことが少なくとも3点はあると考えています。まず、叩かれるとしたら“日本”ではなく“西野監督”個人であるべきということ。あくまで今回の方針を決めたのは監督であり、選手たちはそれに従っただけの話。批判の矢面に立つのは監督だけで良いのです。  2つ目は、誰の為に戦っているのか?ということ。ロシアなど欧州の評論家が「失望した」「決勝リーグでボコボコにやられてほしい」とこぞって批判的なコメントを出してますが、では日本が最後まで攻め尽くして結果敗退したら、果たして彼らは自国の出来事のように心底悔やんでくれるのでしょうか?恐らくNoでしょう。なぜなら、彼らの自国以外の試合での視点は、応援ではなく、どのようなプレーが生まれるか、試合が面白いかどうかであって、我々とは全く観点が異なるためです。つまり、自分達や国民の為に戦っている日本代表が彼らの話に耳を傾ける必要など全く無い。「世界のサッカー少年を失望させた」という話もありますが、勝手に大人が察して代弁することでもありません。3つ目は、西野監督は最恐のリスクを背負ってこれを実行したということです。カードを恐れず、勇敢に攻めて引き分けや勝ちを狙いにいくのもリスクですが、仮にこれで敗退しても「残念だったが最後まで勇敢に戦った」という評価が残ります。反面、今回のような施策の結果失敗したとしたら、世界中からはもちろん、国内からも批難が集中しますし、コロンビア戦の劇的勝利も忘れ去られるか、単なるマグレだったで片付けられてしまうでしょう。過去の栄光も消し去られるほどのリスクを負ったわけですから、守り=逃げたと評することはお門違い、というわけです。 
ただ、このリスクについては、今回だけで消えることはありません。次戦はもちろん、今後の国際試合でも敗北が続くようであれば「サッカーを欺いた報い」「サッカーの神様に見放された」と批判されることは必至。しばらく日本代表は重い十字架を背負って戦っていかなければなりません。どうか次戦は勝利、もしくはそれに等しいような戦い方をして、今回の議論に終止符を打って欲しいものですね。

R不動産という働き方②「自分には武器が無い?」

前回の記事はこちら福岡R不動産を運営する株式会社DMXのサイトを見ると、随時営業スタッフを募集している模様。早速、応募しようと思いましたが、重大なことに気が付きました。自分には全く武器が無いことを。営業経験はあるものの、不動産は全くの皆無。文章を書くのは好きだけど、書き溜めたブログなどの実績もないし、福岡にコネクションも殆どナシ。R不動産では業界未経験の方が独自の発想をするので歓迎しているというスタンスらしく、本の中では元ダンサーなどユニークな職歴の方も登場していましたが、自分にはそこまでのインパクトはありません。 強いて言えば、”R不動産が好き"ということしかありませんでした。となると、正攻法で応募しても100%落とされる。 最低限の武器とやる気を見せることが重要と思い、まず宅建を取得することに決意し、年末になんとか合格しました。あとはSNS等を使ってアピールし、無事採用を頂くことができ、2013年から不動産業の第一歩を踏めることになりました。 加入後は、写真の撮り方、コラムの書き方や、不動産のルール・業務などイチから教えて頂きましたが、独特なのは、先輩スタッフも皆、完全出来高制なので自分に仕事を教えても1円も入ってこないこと。完全に損得感情無し、R不動産を一緒に盛り上げたいという想いだけで指導してくださるのです。その後、自分に後輩ができた時も当然同じような気持ちになり、このカルチャーが脈々と受け継がれているのがR不動産。これは固定給が貰える一般企業には無い、本当に素晴らしい文化だと思います。 先述のようにコネが無いので、最初にやることと言えば、面白い物件を自分で見つけてきて、現場で写真を撮ってコラムを書き、サイトにUPする。これを延々と繰り返すわけですが、前から憧れていた、自分の撮った写真や書いたコラムが公開され多くの人に見られるということがとにかく嬉しくて、しょっちゅう自転車で走り回ってました。それまでの仕事とはまるで違い刺激的でした。 そう、こうやって現場で物件を見て、五感で感じたことをコラムで自分なりに表現するということは、とても手間と時間がかかりますが本当に重要なことだと思います。物件の選定段階で、情報や写真、googleストリートビューなどである程度の情報は把握できるのですが、やっぱり現地で見ると必ずといっていいほど新しい気付きがあるのです。 では、コラムでどんな感じで表現するのか?下記は一例です。良いか悪いかは別として(笑)、自分が昔書いたコラムを紹介したいと思います。 「天地逆転のいざない」時に人は異性のギャップに心惹かれるといいますが、部屋に関しても同じなのでしょうか。 通りで強烈に存在感を放つシマウマみたいなビルからは到底想像つかない、青空をひっくり返したような爽やかなお部屋。 床に使う色にしては一般的ではありませんが、もともと見慣れている色だけに、奇抜な部屋を見たときに「うっ!」と引いてしまうような不自然さが全くありません。 さらにここが角地の角部屋である点も見逃せない。清々しい床に明るい光と風。バルコニーもL字で、空を翔ける鳥のように、と言ったら大袈裟ですが、都会の中にしては自由を感じれる空間です。 といいつつも、どの物件にも必ずあるアテンションはこちらも例外ではなく。珍しくバスタブがなくシャワールームになっている点は、温泉行った時ぐらいしか浴槽に入らない、「カラスの行水」派の人向けになります。最後に、水色というのは心理的に「冷静」「知的」「優しさ」をイメージさせるのだそう。是非外観と室内のギャップに倣って、魅惑的になりたい方にお薦めしたい物件です。 こうしてとにかく自分の物件ストックを増やすことで、徐々にですが、問い合わせも増えていき、少しずつですが契約も取れるようになってきました。 続く。

コワーキングのリサーチで再認識させられた、不動産安定収益の為のキーワード

とある一棟ビルの収益拡大の為の企画のお声がけを頂き、現在、市場調査をしていますが、その中でコワーキングスペースでの活用について色々考えています。コワーキングのメリットは沢山あるのですが、デメリットも沢山あり、色々悩むところです。以下、殴り書きですが、<メリット>フリーデスクで1〜3万程度。オフィスを借りる必要がない。イニシャルがかからない。会議室が使えるので来客対応もできる(オプション)プリンターなどの機器が使用できる。掃除をする必要がない光熱費なども気にすることないコミュニティの活用。出会いが仕事へつながる可能性がある一等地にあり、アクセスが抜群アドレスが使える。法人登記も可(オプション)電話応対なども対応可。(オプション)<デメリット>賃貸よりは安いとは言え、無料で使えるスペース(福岡でいえば、スタートアップカフェ、さくらインターネットさんやペンシルさんの一般開放スペース)があることを考えると、高い。とも。たまに使用する程度であればカフェを使用すればいいので、利用頻度低い人には向かない。(ドロップインのプランがあるが、カフェよりは割高)基本、静かなので電話がしずらい(一部施設ではフォンブースがあるが)共用である以上、情報・モノのセキュリティに懸念がある。(トイレなど行く際に、デスクにPC等を置いて離れづらい等)こんなところでしょうか。結論、業種・用途・頻度によりけりといったところですが、少なくとも我々不動産業には向かないとも思われます。以上。で、終わってはいけないんですね。スタートアップに力を入れている福岡ではここ3年ぐらいでコワーキングがどっと増えた印象ですが、これからは空席、供給過多になる可能性も十分ありえます。ということは、既存も新規も、何かしら特色を出していかないと生き残れないということです。例えば、今、コワーキングは天神・博多で群雄割拠の中、今宿の海が一望できるSALTを運営する福岡移住計画さんなんかは非常に上手いやり方をされているなと思います。事実、フロア拡張しても満席のようです。ロケーションだけでなくもっと沢山工夫されているのですけれど。そこで、新たな企画を打つために色々考えていかなくてはならないのですが、やっぱり行き着く結論はいつもこれです。「特色を出すには金がかかる」不動産にかかわらず、なんでもそうなんですけどね。でも金があれば苦労はしません。金をかけたくないなら、手間と愛情をかける必要があります。そのためのキーワードの1つが、メリットにもあった「コミュニティ」です。良いコミュニティができれば、それ自体がブランド可する。もちろん時間はかかります。でもコツコツとそれを実践して、安定した収益化へとつなげているオーナーさんを何人も知っています。じゃあいつもいつも、居住者間の飲み会やイベントを開いて交流を活性化すればいいのか?それも一つの手段ですけど、それだけではダメです。長続きしません。"良いコミュニティを継続させるための仕組み作り"これが一番大事ですし、今後の不動産活用におけるひとつの重要なキーワードになってくると思います。