西野JAPANの“パス回しの是非”を議論する前に、忘れてはならない3つのこと。


サッカーのロシアW杯でのGL最終戦の戦い方について、国内外から論争が巻き起こっています。これらの是非については、各々の価値観や利害に依るべきところなので、色んな意見が出て当然で正解・正論はありません。しかしその前に認識しておくべきことが少なくとも3点はあると考えています。


まず、叩かれるとしたら“日本”ではなく“西野監督”個人であるべきということ。

あくまで今回の方針を決めたのは監督であり、選手たちはそれに従っただけの話。批判の矢面に立つのは監督だけで良いのです。  


2つ目は、誰の為に戦っているのか?ということ。

ロシアなど欧州の評論家が「失望した」「決勝リーグでボコボコにやられてほしい」とこぞって批判的なコメントを出してますが、では日本が最後まで攻め尽くして結果敗退したら、果たして彼らは自国の出来事のように心底悔やんでくれるのでしょうか?恐らくNoでしょう。


なぜなら、彼らの自国以外の試合での視点は、応援ではなく、どのようなプレーが生まれるか、試合が面白いかどうかであって、我々とは全く観点が異なるためです。つまり、自分達や国民の為に戦っている日本代表が彼らの話に耳を傾ける必要など全く無い。「世界のサッカー少年を失望させた」という話もありますが、勝手に大人が察して代弁することでもありません。


3つ目は、西野監督は最恐のリスクを背負ってこれを実行したということです。

カードを恐れず、勇敢に攻めて引き分けや勝ちを狙いにいくのもリスクですが、仮にこれで敗退しても「残念だったが最後まで勇敢に戦った」という評価が残ります。


反面、今回のような施策の結果失敗したとしたら、世界中からはもちろん、国内からも批難が集中しますし、コロンビア戦の劇的勝利も忘れ去られるか、単なるマグレだったで片付けられてしまうでしょう。


過去の栄光も消し去られるほどのリスクを負ったわけですから、守り=逃げたと評することはお門違い、というわけです。 


ただ、このリスクについては、今回だけで消えることはありません。次戦はもちろん、今後の国際試合でも敗北が続くようであれば「サッカーを欺いた報い」「サッカーの神様に見放された」と批判されることは必至。しばらく日本代表は重い十字架を背負って戦っていかなければなりません。


どうか次戦は勝利、もしくはそれに等しいような戦い方をして、今回の議論に終止符を打って欲しいものですね。